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音楽における不協和音と協和音が情動反応および脳機能に与える影響:認知神経科学的考察

Tags: 音楽, 認知神経科学, ストレス軽減, 情動, 脳機能

はじめに

音楽は古くから人々の情動に深く関わってきました。喜びや悲しみ、興奮や平静といった多様な感情は、音楽を聴くことで喚起され、あるいは変調されることが広く知られています。この情動への影響力は、音楽がストレス軽減や特定の心理状態(例えば、集中力やリラクゼーション)の調整に活用される主要な理由の一つです。

音楽を構成する要素の中でも、音と音の響きの関係性である「協和(consonance)」と「不協和(dissonance)」は、聴取者の知覚や情動反応に大きな影響を与える要素と考えられています。なぜある響きは心地よく、安定していると感じられ、別の響きは緊張や不安定さを伴うのでしょうか。本記事では、音楽における協和音と不協和音が情動反応および脳機能に与える影響について、特に認知神経科学的な知見に基づいて考察いたします。この理解は、音楽が心身に作用するメカニズムを深く理解し、より効果的なBGMの選択や活用に繋がると考えられます。

音楽における協和と不協和の定義

協和と不協和は、複数の音が同時に鳴った際の響き合い、または連続する音の連結における「落ち着き」や「不安定さ」を指す音楽理論上の概念です。音響学的な観点からは、協和する音程はシンプルな周波数比を持つ傾向があります(例えば、完全8度は1:2、完全5度は2:3など)。これらのシンプルな比率を持つ音程は、倍音列における共通成分が多く、耳に心地よく調和して聞こえるとされます。一方、不協和する音程はより複雑な周波数比を持ち、複数の音が同時に鳴った際に「うなり(beats)」と呼ばれる物理現象が生じやすく、耳に粗く、不安定な響きとして知覚される傾向があります。

音楽理論においては、協和音程(完全8度、完全5度、長/短3度、長/短6度など)は安定した響きを持ち、終止や解決に適しているとされます。対照的に、不協和音程(長/短2度、長/短7度、増/減音程など)は不安定な響きを持ち、解決(より安定した協和音への進行)を求める性質を持つと定義されます。西洋音楽の歴史において、不協和音は楽曲に緊張感や動きをもたらすために重要な役割を果たし、その後の協和音への解決が解放感や安定感を生み出す構造が多用されてきました。

協和音と不協和音が情動反応に与える影響

協和音と不協和音は、聴取者の情動反応に対して明確な違いをもたらすことが多くの研究で示されています。一般的に、協和音は心地よさ、安定感、静けさ、満足感といった肯定的な情動と関連付けられる傾向があります。これは、シンプルな周波数比や安定した響きが、脳の聴覚情報処理においてスムーズに統合されやすいことに関係していると考えられます。

一方、不協和音は緊張感、不安定さ、粗さ、時には不快感や不安といった否定的な情動を喚起しやすいとされています。これは、複雑な周波数比によるうなりや、音楽理論における「解決を求める」という性質が、聴取者に心理的な構えや予測(そしてその予測からの逸脱)を生じさせるためと考えられます。不協和音の知覚は、脳の情動処理に関わる領域を活性化させることが示唆されています。

ただし、不協和音に対する反応は一様ではありません。音楽の文脈、個人の音楽的経験や嗜好、聴取時の心理状態によって、不協和音の知覚やそれに対する情動反応は大きく変化します。例えば、現代音楽や特定のジャズ、あるいはロック音楽では、不協和音が積極的に、かつ特定の意図を持って使用されます。これらのジャンルに慣れ親しんだ聴取者は、不協和音を単なる不快な響きとしてではなく、音楽的な表現の一部として受容し、時には興奮や関心、あるいは独特の美的感覚を覚えることもあります。不協和音が喚起する「緊張と解放」のシーケンスは、音楽作品全体の情動的な起伏に不可欠な要素となります。

協和音と不協和音に関する脳機能研究

音楽における協和と不協和の知覚が、脳の活動にどのような影響を与えるかは、認知神経科学的な研究によって探求されています。機能的磁気共鳴画像法(fMRI)や脳波計(EEG)を用いた研究では、協和音と不協和音の聴取時に異なる脳領域が活性化することが報告されています。

不協和音を聴取した際には、情動処理に関わる扁桃体(amygdala)や、不快刺激や痛覚に関わる可能性が指摘されている島皮質(insula)などの活動が増加することが示唆されています。これは、不協和音が持つ潜在的な脅威信号や不快感と関連する情動応答を反映していると考えられます。

一方、協和音や、不協和音から協和音への解決を聴取した際には、脳の報酬系に関わる領域、特に腹側線条体(ventral striatum)や側坐核(nucleus accumbens)といったドーパミン作動性経路の一部が活性化することが報告されています。これは、協和音の安定した響きや、不協和音が解決された際に得られる解放感が、脳にとって報酬として機能することを示唆しています。また、協和音の聴取は、内側前頭前野(medial prefrontal cortex; mPFC)など、快感や価値判断に関わる領域の活動とも関連があることが示されています。

また、不協和音は、脳の予測処理(predictive processing)の観点からも興味深い対象です。脳は絶えず感覚入力のパターンを予測し、その予測に基づいて世界を認識していると考えられています。音楽を聴く際も、脳は次にどのような音が来るかを予測しており、不協和音のような予期しない、あるいは不安定な響きは、予測誤差信号(prediction error signal)を生成します。この予測誤差は、聴覚皮質や前頭前野などの領域で処理され、注意の喚起や新たな学習に繋がる可能性があります。不協和音の処理には、予測誤差を最小化しようとする認知的リソースがより多く必要とされると考えられ、これが認知負荷の増加や注意の分配に影響を与える可能性も指摘されています。

ストレス軽減との関連およびBGMへの応用

音楽における協和音と不協和音の知覚と脳機能に関する知見は、ストレス軽減のためのBGM選択や活用を考える上で重要な示唆を与えます。

一般的に、ストレス軽減やリラクゼーションを主な目的とするBGMには、安定した協和音を主体とした音楽が適していると考えられます。協和音中心の音楽は、脳の報酬系を適度に活性化させつつ、情動を安定させる効果が期待できます。繰り返しが多く、予測しやすい構造を持つ協和音中心の音楽は、脳の予測誤差を最小限に抑え、認知的な負荷を軽減し、リラックスした状態を促すと考えられます。クラシック音楽のスローな楽章、アンビエント音楽、特定のニューエイジ音楽などがこれに該当し、自律神経系にも働きかけ、心拍数や呼吸数を穏やかにする効果が期待できます。

一方で、不協和音は注意を喚起し、一時的な緊張感を生じさせる可能性があります。過度に頻繁な不協和音や解決を伴わない不協和音は、脳に継続的な予測誤差や不快感をもたらし、かえってストレスや認知負荷を増大させるリスクも否定できません。したがって、リラクゼーションを目的とする場合には、不協和音が少ない、あるいは不協和音が穏やかに、そして速やかに協和音へと解決される音楽を選択することが望ましいと言えます。

しかし、特定の状況や目的においては、適度な不協和音が有効な場合もあります。例えば、単調な作業中に適度な音楽的な変化(リズムや構成の変化、そして不協和音の使用を含む)は、注意を維持し、覚醒レベルを調整することで、集中力を助け、脳疲労の蓄積を軽減する可能性があります。また、特定の情動を喚起したり、内省を深めたりする目的で音楽を聴く場合には、不協和音を含む複雑な音楽構造がより豊かな感情体験をもたらすことがあります。

したがって、BGMを選択する際には、音楽がどの程度協和的か、あるいは不協和を含むかを考慮することが重要です。リラクゼーションや安定を求める場合は協和音中心の音楽を、適度な刺激や注意の維持を求める場合は、不協和音も含むが全体として心地よいと感じられる範囲の音楽を検討することが有効かもしれません。個人の音楽的嗜好や、その時の心理状態、聴取する環境など、複数の要因を総合的に考慮することが、音楽を効果的に活用するための鍵となります。

まとめ

音楽における協和音と不協和音は、単なる音楽理論上の概念にとどまらず、聴取者の情動反応や脳機能に深く関わる重要な音響的特徴です。協和音は一般的に心地よさや安定感をもたらし、脳の報酬系や情動安定化に関わる領域を活性化させやすい傾向があります。一方、不協和音は緊張感や不安定さを引き起こし、情動処理や予測誤差処理に関わる脳領域の活動と関連が示唆されています。これらの知見は、ストレス軽減や心理状態の調整を目的としたBGMを選択する際に、音楽の協和性/不協和性を考慮することの重要性を示しています。

リラクゼーションを深めるためには協和音中心の音楽が適している一方で、特定の目的(注意維持など)においては適度な不協和音が有効な場合もあります。音楽が心身に作用するメカニズムを科学的に理解することで、私たちは自身の状況や目的に合わせた最適な音楽をより意識的に選択し、日常生活におけるストレス管理や心理状態の調整に役立てることができるでしょう。